1970年頃までは、このような学生運動に共感を持つ一般市民も存在していた。機動隊に追われた学生をかくまって食事を与えたりする市民や、学生のデモに暴力を振るう機動隊に対して抗議や非難の声を挙げる群衆もいた。こうした行動の背景には「学生は世の中をよくするために身を挺して立ち上がっている」という意識や、学生運動を「若者のエネルギーの発露」としてそれを許容する空気が広く存在したことが挙げられる。権力側も一部には学生運動をする学生たちを「左翼の国士」と見るような風潮もあった。しかし内ゲバや武装のエスカレートなどで市民の支持は徐々に失われていく。1960年代の新左翼党派の再編過程、路線対立の過程で暴力的衝突は日常と化していた。
一方、学生側には分派が生まれ、党派闘争が発生し、1970年以降は殺し合いに発展していく。1971年、法政大学での中核派による海老原殺人事件と、それにたいする革マル派の報復から、両派は凄惨な内ゲバを繰り広げ、ここに革労協と革マル派の間での内ゲバも加わり、1970年代は全国の大学で暴力の恐怖が蔓延した。
これら内ゲバや、赤軍派に代表される爆弾や銃による武装のエスカレート、連合赤軍でのリンチ事件などが発覚したことで学生運動は急速にその支持を失っていく。更に1972年の沖縄返還などにより日本人の反米感情が薄れ、日本社会が豊かになるにつれ、学生たちは潮をひくように学生運動から遠のいていった。
1980年代以降は学生運動が存在するのは、ごく一部の大学のみとなり、それもごく一部の新左翼党派に属する学生に限られた運動となっている場合がほとんどで、大部分の学生とは無縁の存在になっている。
戦後日本の大学では、1945年(昭20)8月の日本敗戦とその後の米軍による7年間にわたる占領政策の影響、そして世界的な共産主義思想の流行によって、左翼運動の独壇場ともいえる情況が現出した。
しかし、これら左翼学生運動の勃興に対する危機感から、「民族派」と呼ばれる右派学生組織も次々と結成され、大きな運動が起こった。
これら民族派学生組織の多くは、左翼による大学のバリケード封鎖に反対する「学園正常化」を掲げ、また、日本敗戦後の米軍による「日本弱体化」政策(ポツダム支配)と、米ソによる世界分割支配「ヤルタ体制」を厳しく批判して運動している。 主な民族派学生組織には、全国学協、日学同、生学連、日本学生会議、民社学同、反憲学連、全日本学生文化会議等がある。
1980年代以降、日本社会が豊かになると、左翼学生運動同様「民族派」学生運動も次第に衰退していった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
日本社会が豊かになると学生運動も次第に衰退していった。経済と関係していたんですね。
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